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スタッフブログ 2019年~

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救いの手

2022-04-15
 こうも暖かい日が続くと、初老を迎えたおっさんとしては桜が舞い散る公園のベンチでついついまどろんでしまう。そして、目の前を春の季節によく似合うワンピースを着た壇蜜さんでも通りかからないかと期待してしまう。そこでタイミング良く少し強めの風でも吹いてくれれば…。

 こんなことを口に出せば、壇蜜さんが振り返りながら

「それ、セクハラよ…」

とでも言いそうだが、昭和の香りを色濃く残したシズオカエージェントオフィスでは誰も気にとめない。
 兎にも角にも、静岡の春は祭りが落ち着いた駿府城公園でのんびりまったり妄想するに限る。お供はもちろんおでんとコーラだ。本当はみかん水とのコンビが最高だが、慣れ親しんだ澤井飲料さんが廃業してしまったため久しく飲んでいない。レシピを引き継いだ木村飲料さんで製造しているらしいので今度試してみよう。

 口の中のダシ粉をコーラで流し込み一息ついた時、20代と思しき男性2人が目の前を通りかかった。

「なんだ、男か…」

とがっかりしていたところに会話が聞こえてきた。
 
 かなり興奮した様子で、マスクがなければ飛沫感染は避けられない口調で話をしていた。
 私は少し風向きが気になってしまった。

 要約すると、仕事でミスをした同僚が自分に責任を擦りつけ、その同僚は上司にゴマスリが得意なため特にお咎めを受けることなくのほほんと通常業務をこなしているとの内容だった。
 それを聞いて、さっき食べたおでんの味も相まって若かりし頃のある言葉を思い出した。

【偏った人達は物事を内容ではなく仲間かどうかで判断している。こういった人達は思考が停止しているから、事の良し悪しではなく仲間と同調することが正しいと思い込んでいる。本当の仲間とは目的を共有しているがお互いは自立しているから、しっかりと意見をぶつけあえる関係だ。】

 これは中学校3年生の夏に仲間内で万引きが流行った時、私がどのように行動したら良いかを近所のお兄ちゃんに相談した時の言葉だ。ちなみに、当時16歳でこれを言えた彼はどんな大人になっているのだろうか。
 この後、お互いが引っ越してしまったため疎遠になってしまったが、この年齢にも関わらず言葉だけで中坊を正しく導いてしまった彼は、きっと素晴らしい経営者になっているに違いない。いつか再会できたら感謝の気持ちを伝えたい。

 さて、友人が万引きをした際のこの問題、いじめ問題にも共通するが対応は大きく分けて三つあると思う。

一つ目は、同調すること。その行為に参加することもあれば、参加はしなくても本人に大した注意をすることもなく今まで通りの付き合いや行動を続けること。

二つ目は、しっかりと注意しやめさせること。同じことを繰り返しそうであれば、他人に触れさせないなど環境を変えさせる。モラルを持つようになるまで責任を持って面倒をみる。

三つ目は、友人をやめること。モラルを欠いている人と付き合いを続ければ自分もモラルの無い人間と思われてしまうかもしれないので、そういう人間とは距離をおくことも正解かもしれない。

 結局、私が取った行動は二つ目と三つ目のミックスだった。まぁ、私が一つ目を選ぶことはないが、これを選ぶ人は間違いを犯す人と同じくモラルがない人であるか、同調することが許すことだと勘違いしている人、もしくは自立していないためその集団から孤立する事を恐れている人であろうと推測する。
 話を戻すと、まず彼らに注意を促した理由は、万引きが法律に反しているからではなく、作った人、売っている人の気持ちを踏み時にじる行為だからだ。
 一つの事例を上げるので少し想像して欲しい。近所の駄菓子屋は静岡であるがゆえに夏であっても当然おでんを売っていた。小さな頃からよく通ったお店で、静岡にもコンビニが出店しおでんを1本100円で売っていたとしても子供達が困るからと1本30円で売り続けてくれていた。

 そんなお店で、彼らは店番をしているオバチャンの目を盗んで食べた串をあろうことかテーブルの下に隠していた。なかには鍋に戻す輩までいたほどだ。
 そのくらい可愛いものだと思われるかもしれない。確かに10本でも300円と損害額は大した金額ではない。私が過ごした昭和の時代からすれば、昔はよくやったよと武勇伝のように語る人もいるだろう。
 しかし、金額の大小ではなく当時の私にとってはその行為自体が許せるものではなかった。
 実際、悪いことだからではなくオバチャンの気持ちを考えてみろよと伝えたところ、それに応え自省をしてくれた友人も何人かいた。そんな彼らとは今でも交流が続いている。

 しかし、中には全く意に介さず続ける人間もいた。
 こういうモラルを理解できない人間にはいくら伝えても無駄だとわかっていたため、一切の交流を断つと決めた。その後一時的に友人の数が減ったが、どうでもいい人間との関係を絶つことによりどうでもいいストレスが無くなり、自分が変わることにより素の自分で接することのできる友人が増えた。

 そんな内容を前出のお兄ちゃんに伝えたところ、今なら意味がわかるだろうと

「子曰、君子和而不同、小人同而不和」
(子曰く、君子和して同ぜず、小人同じて和せず)

という論語を教わった。端的に言ってしまえば、優れた人は協調することがあっても群れることはなく、つまらない人はただ群れるだけで本当に分かり合えることはないということだろう。
 
この頃、私は野球部に所属しておりチームプレーというものを理解しているつもりだったが、この経験を通じてようやく本当の仲間のあり方に気づくことができた。

「和」とは、自立している人同士が相手への敬意を持って、対等に主張、議論しあえるためお互いを高め合う関係性であり、
「同」とは、自分軸の無い人同士が自分を守ることを目的として他人の意見に賛同や同調をするため、成長することがなく主張の違う相手を敵とみなしてしまう集団。

 こういうと「和」が正しく、「同」が悪いと勘違いされやすいがそうではなく、事をスムーズに運ぶためには多少の同調は必要で「清らかすぎる水では魚は住めない」という言葉もある通り、人には感情や欲がある以上ある程度の妥協は必要だとも思う。

 しかし、このコラムを書くきっかけとなった公園での男性2人の話をそのまま受け取るのであれば、その上司に公平さや誠実さは一切感じられず、媚びてくる部下に気持ち良くなっていたのだろうか、偏った考え方で正常に判断ができていないことは明白だった。当然、上司自身の責任を逃れたい思惑もあったかと思う。
 
 まぁ、のんびり楽しく妄想でもしようかと公園に行ってみたが、思わぬことから色々と考えてしまった。それはそれで有意義であったので、2人の若者には感謝している。
 そして私の勤める会社が、このように他人を貶めて上司に媚びることにより自分の立場を良くしようとする同僚と、媚びを売られることにより気分を良くして正常な判断ができない上司で運営されている会社でなくて良かったと胸を撫で下ろした。

 それぞれに都合があり、自分を守りたいとか、あの娘にカッコつけたいとか、自分がいないと会社が回らないとか、そんな風に思いたい気持ちはあって当然なので全てを綺麗事で進めることはできないが、このシズオカエージェントオフィスができる限り理想的な「和」の気持ちを持った会社であって欲しいものだ。






                     行き詰ったら、とりあえず寝る。  
         
                                マーク・ワトニー 


                         〈 今回のコラムはT-3が担当しました 〉

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